こんにちは、るぷらんです。
東京は大変ですね。何が大変って、単身で頑張っている人が多いから非常時本当にどうしようもない。地元に帰ってしまう学生さん、わかりますその不安な気持ち。
日本は緊急事態宣言中でも、上からの指示がないと、会社へ行かないという選択はない気がします。
ただ会社に行かなくてはならないのです。電車が動いてるから行かなくてはならないのです。停電になったら、行けないから休むのです。
日本って、戦後の昭和の時代何にも大きな災害なかった気がします。平和ボケなのもあると思います。
世のお父さんは、家族を犠牲にしても会社のために働く、それが当たり前なのです。今でもあまり変わりません。会社の指示に従う、上の指示に従うそれが染み付いているのです。長いこと会社員してきて、会社のために働くこと仕方ないと思っていました。
学校が閉まって、児童会館に人がたくさん集まって、教室よりも危ないかも知れないけれど、預けないと仕事行けない状況。
何かあった時、家族が一番大事だから、家族一丸となって乗り切る雰囲気は表立って出せないような。
なぜ、そう思うかというと、東日本大震災が起こる一年くらい前、たまたまハワイに滞在していたのです。その時チリで地震があり、午前11時過ぎに津波が来るとドアの下から部屋に手紙が入ったのです。英語と日本語で。
10時以降は部屋で待機し、外出禁止とありました。10時までに全ての用事を済ませてくださいという意味なのです。食事、お買い物とかです。
日本人の私は、tsunamiって日本語なのに、恐ろしさを全く認識してなくて、ビックウェーブくらいにしか思って無かったのです。
そんな私は早朝のホテルイベントのフラダンスしました。朝早すぎでキャンセルにならなかった事情かも知れない。レッスン中、現地の先生に家族から早く帰ってきてという電話がバンバンなるのよ。先生帰ってもいいよと思いながら踊ってたわ。日本なら仕事中、こんな風に家族に電話しないなと思って、家族の結束が違うなとその時思いましたが。ハワイは津波で大きな被害を受けたことがあると後で知りました。
その後近くのホテルで朝食をゆっくり食べました。食べ終わった時、カラカウア通りは車通行止めになって、パトカー6台、渡り鳥のような隊列並んでアナウンスしながら、何度もぐるぐる走っていたのには圧巻でびっくりでした。
コンビニ的な所は入場制限しながら長蛇の列。津波来るってビーチに行ってはいけませんということと思っていた私はあ然としました。まだ東日本大震災起こる前でしたから。
ホテルは10時にエレベーター止めると言われていたので、お店も全部閉店。部屋に戻ろうと思った頃には、警備員で物々しい雰囲気。
テレビでは津波のニュース。ベランダから外みたら車一台なく誰一人いない。多分外にいたら警察に捕まるのかも知れない。
こんなハワイの風景凄いと感動して。かろうじて見える海を見ていたけれど、津波わからずで。
津波来るというニュースで、たいていのお店閉めることにびっくりで、道路封鎖するのも、有珠山噴火のときくらいしか記憶にないなぁと。
ハワイの人の対応早さにびっくりして、地震あったらどうするかというのが、シミュレーションされているのですね。
13時頃には、軟禁生活から開放されましたが、その日はアラモアナショッピングセンターは終日閉まっていたそう。
1m程度の津波はきたそうですが、やっぱり何でも無かったと思う怖さを東日本大震災のとき思い知りました。
人は経験すると慎重になるのかな。
ハワイの数時間後日本にも小さな津波きたはずだけど、誰も覚えてない出来事かも知れないです。
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